ビリー・ホリデイが亡くなって、今年で50年。ルイ・アームストロングと共に、それまでの歌のあり方を圧倒的な才能で一挙に転換してしまったこの20世紀最大の天才歌手をしばらく集中的に取り上げてみようと思います。
細かいことを考えなければビリーは3つの時期に分かれます。前期(ブランスウィック・ヴォキャリオン時代)、中期(コモドア・デッカ時代)、そして後期(ヴァーヴ時代)。それぞれ吹き込んでいるレーベルに対応するだけでなく、楽曲に対するアプローチとコンセプトにも対応している。
今回は前期、つまりブランスウィックやヴォキャリオンに吹き込んでいた時代について取り扱いたいと思いますが、この時期についてまとめると「リズムの時代」と言えます。たとえば、この時期の最大のヒット作といえる"I Cried for You"をに耳を傾けるとそのことはたちどころに了解されるはずです。この元歌の出だしはメロディーの動きがとても激しいんです。"I"がミ、"cried"が上のシ、"for"がその下のラ、最後の"you"はオクターブ下のラにまで落ちていく。のど自慢の歌手が歌えばこの上昇下降の音形をこれ見よがしにトレースするのに対して、ビリーはこの出だしの5度のジャンプを省略し、これに代わってリズムでフレーズの妙を展開します。さらに続くフレーズではメロディーの動きを抑えて、ほとんど同一の音でリズムに綾をつけていきます。そう、これは後にロリンズが繰り出す「モールス信号」、さらに現代のラッパーたちの原型と呼ぶべきものです。こう考えると、NYの地下鉄で日本のサラリーマンがビリーのレコードを見ていたら、近づいてきたアフリカ系のラッパーの兄ちゃんが "May I see it?"と、普段なら使いもしないような "May . . ?"で「見せてください」と頼んだというエピソードもうなづけます。と言うことで、この時期のレディーは形式的にすでに完成され、何をどう歌うべきかと言う指針を後代に残した重要な時期であると思うのです。ちなみに、中期は「フシの時代」と言うべきであり、後期は「心の時代」というNHK教育テレビの日曜早朝の宗教番組のような様相を呈してきますが、それはまた次の機会に。ただ、この全てを通じて結局変わらなかったのは(それは激変したにもかかわらず)彼女の声であり、それは常にサックスのサウンドであったことです。激変したのに変わらなかったという彼女のパラドクスに関しては、後期に関する記事で取り上げる予定ですが、未定です。
伝記的には1932年ごろハーレムで歌っているところをジョン・ハモンド坊ちゃんに見出され、翌33年11月27日にベニー・グッドマン楽団(まだプレークする前)と共に吹き込んだ "Your Mother's Son-in-Law"が初レコーディングとなり、これ以降いわゆるコロンビア系の吹き込みは230曲とも、それ以上とも言われています。これについてすべて解説するのは骨が折れるので、今回はそのベスト集を下敷きに解説してみたいと思います。特に今回取り上げる『ビリー・ホリデイの肖像』はLP時代末期、油井先生監修の元、ビリー・ホリデイ研究では日本の第一人者と言うべき大和明先生が選びに選んだ2枚組みなので、そこいらのアメリカ製CDコンピなど足元にも及ばないほど厳選されたものです。曲データは以下のとおり。
Disc-1
Side-A
1. I Wished on the Moon
2. What a Little Moonlight Can Do
3. Miss Brwon to You
4. If You Were Mine
5. It's Like Reaching for the Moon
6. These Foolish Things
7. I Cried for You
8. Did I Remember
9. No Regrets
Side-B
1. Summertime
2. Billie's Blues
3. Pennies from Heaven
4. This Year's Kiss
5. Why Was I Born
6. I Must Have That Man
7. My Last Affair
8. Carelessly
9. Moanin' Low
Disc-2
Side-A
1. Sun Showers
2. Yours and Mine
3. I'll Get By
4. Mean to Me
5. Foolin' Myself
6. Easy Living
7. I'll Never Be the Same
8. Me, Myself and I
9. A Sailboat in the Moonlight
Side-B
1. Can't Help Loving' Dat Man
2. When You're Smiling
3. I Can't Believe that You're in Love with Me
4. I'll Never Fail You
5. The Man I Love
6. All of Me
7. I'm in a Lowdown Groove
8. Love Me or Leave Me
9. Until the Real Thing Comes Along
一枚目、冒頭の3曲はブランスウィック・セッションにおける最初の吹込みでありながら、一気に理想的な演奏にまで到達した不滅の3曲と言うことができます("A Sun Bonnet Blue"が省かれている)。録音日時は'35年7月2日。"I Wished on the Moon"の歌いだしはこの時期に特徴的な低唱と、ビートに微妙に遅れて乗っていくという彼女のトレードマークに彩られています。特筆すべきは "What a Little Moonlight Can Do"の演奏で、これは3分芸術としての極地を示した多面的な演奏です。テディーの魅力的なイントロから、ベニー・グッドマンがクラリネットの低域を活用したテーマを半コーラス吹き、その後一転して高域でテーマを演奏する。続くビリーは早くも"Ooh-ooh-ooh"の3音をオリジナルに逆らってD音だけで歌いとおすという個性を発揮しています。曲全体がチョッパやで突っかけるような2ビートを刻んでいるのに対して、ビリーは微妙に遅れつつビートを前後にゆすることでタメの効いた乗りで歌っています。ビリーの後はベン・ウェブスター(ts)、テディ・ウィルソン、ロイ・エルドリッジ(tp)のソロが続きますが、ビリーの圧倒的な歌唱の前に霞んでます。 "Miss Brown to You"は、ベニーによる冒頭のイントロが魅力的で、油井先生はこの部分をそれこそ「真っ白になるまで聞き込んだ」と言っています。"What a Little Moonlight"と同じくクラの低域を活用し後半になって高域に動かしていくテーマ演奏の後は、ビリーの歌。テンポがよいのでタメの効いた乗りから自在にアクセントを動かしてスイングを作り出していきます。Aメロの部分とBメロに入ってからでアプローチを変え、後半部分はまるでトランペッターのようなアタックです。また、この曲ではピー・ウィー・ラッセルなどがよくやるグロール・トーンをところどころ使って、まるで二つの音を同時に出そうとするような歌い方をしています。歌い終わっても名残惜しむかのように、デディーのピアノに合いの手を入れていくところもすばらしい。
4曲目の "If You Were Mine"は'35年10月25日のセッションで、何気ない演奏ながらも心のこもった歌が聴けます。とくに "Every my heart, every my life"の積み上げのところは実にしみじみしています。
5曲目から7曲目までは'36年6月30日のセッションで、エリントンのところからハリー・カーネイ(bs)とジョニー・ホッジス(as)が参加しています。5曲目 "It's Like Reaching for the Moon"ではホッジスがエリントン臭(と言うかホッジス臭)全開のソロを受けて、ビリーが例のグロール・トーンを時おり交えながら歌いついでいきます。ハリー・カーネイはここでクラリネットのオブリガートをつけていてちょっとしつこい感じ。6曲目 "These Foolish Things"はイギリスの小唄で、歌詞といい曲想といいビリーに似合いそうですが、冒頭ちょっとビブラートをつけすぎで歌いこなせてない感じがします。しかしサビが終わってAメロに戻ってきたあたりのフレーズ("Win the marks and make my heart a dancer")は最高で、やはりすばらしい出来を示しています。そして当時としては驚異的な売り上げ15,000枚(3,000枚程度が普通だったらしい)を誇った "I Cried for You"。マクラでも述べましたが、メロディーの動きを最小限に省略して、これに代わってリズムを大胆に動かしていく彼女の特色がよく出ています。サビのところの対句となるフレーズを、入りを少しずらすことでそれぞれ異なったフレーズに仕上げているところも見逃せません。
A面8曲目からB面2曲目までは'36年7月10日の吹き込みで、バニー・ベリガン(tp)とアーティー・ショウ(cl)が参加しています。後にビリーはアーティーの楽団に参加し、黒人女性としては初めて白人バンドのバンドシンガーになるわけです。しかしながらさまざまな障害と彼女のストレートな性格から退団にいたるのは後の話。8曲目の "Did I Remember"ではイントロの直後から、自信を持ったビリー節を炸裂させて印象的なトラックになっています。続く "No Regrets"でも、ギターのイントロに続いてビリーが入ります。このセッションはペットとクラの絡みが中心なので音が高域に偏る憾みがありますが、アンサンブルのすばらしさと、ビリーの自信に満ちて文字通り"後悔しない"かのような潔いフレージングがその欠点を補って余りあります。
しかし、このセッションの最大の成果は続くB面冒頭の2曲、 "Summertime" と "Billie's Blues" でしょう。この "Summertime"は、しかしすばらしい。バニー・ベリガンの印象的なイントロに続いて、ビリーは低唱を生かした出だしから、いつもと同じく後乗りでメロディーの変化もぎりぎりまで抑えています。それにもかかわらずきわめてブルージーで威厳を持った歌になっている。2コーラス歌った後出てくるアーティーのソロもよく、さらにその後再び2コーラス目を歌うビリーのフレージングは冒頭の力強いアタックから最後のコーダ処理にいたるまで目を見張るものがあります。この "Summertime" の歌いだしのフレージングを、後にジャニス・ジョップリンが意図的に模倣します。ジャンルも、そして声質(ビリーがサックスの声なのに対して、ジャニスはディストーションをかけたギターの声)も違いますが、ビリーの後継者はジャニスかもしれません。真の後継者とは師のやり方をそのまま真似るのではなく、その精神を受け継ぐものだと思います。同じように、パーカーの真の後継者はパーカーのやり方からはどんどん離れつつ、その精神だけは失わなかったマイルスです。2曲目の "Billie's Blues"は「ブルースを歌うレディー」としては数少ないブルース(12小節形式という意味でのブルース)で、当時の趣向も手伝ってブギウギのリズムに乗って比較的アップテンポで歌われます。1コーラス目はアーティーがオブリガートをつけ、2コーラス目はベリガンが、続いてアーティーの力強いクラリネットと、ベリガンのダークで太いトーンを生かしたソロが続きます。再び出てくるビリーは3連符を畳み掛けるように効かせたすばらしい12小節で演奏を締めています。
3曲目 "Pennies from Heaven"は'36年11月19日のセッションでベニー・グッドマンやベン・ウェブスターが再び参加しています。ここでのビリーは自由なフレージングでインプロヴァーザーとしての面目躍如。オブリガートをつけるベニーも控えめですばらしい。ここでは省かれていますが、同日のセッションで吹き込まれた "I Can't Give You Anything but Love"も必聴の一曲で、サッチモの歌とトランペットの影響が直接的に現れていて、実に興味深い演奏です。
4-6曲目に聞かれる'37年1月25日のセッションは彼女のセッション中最も重要なもののひとつで、レスター・ヤングとバック・クレイトンが参加しています。4曲目 "This Years Kiss"の冒頭に演奏されるレスターの美しくてしなやかなフレーズは、そのままビリーの歌に引き継がれていきます。同じように "Why Was I Born"では冒頭のテーマをバック・クレイトンが取り、ビリーの歌は自由にフレーズを作り変えながら、繊細な情緒を歌いだしています。そしてこの日最大の成果ともいうべきトラックが6曲目の "I Must Have That Man"。ビリーの畳み掛けるような歌に控えめに絡んでいくクレイトンのオブリガート、そのムード引き継いでレスターとベニー・グッドマンのソロ。最後の合奏などお互いがお互いの音を聞きあい、気持ちを理解しあっているからこそ生まれるグルーブ感がたっぷりです。このセッションは、ちょうどビックス・バイダーベックとフランキー・トランバウワーがそうであったように、気心の知れた仲間が集まって和気藹々と最高傑作を生み出したところにその価値がある。ジャズはなんだかんだ言って、強いもの勝ちなところがあり、傑作といわれる演奏もどちらかというと競い合い、腕比べ、丁々発止のやり取りから生まれることが多い。サッチモとアール・ハインズの28年の演奏や、パーカーとディズ、バドとファッツ・ナヴァロなんかはそうした試合系の典型です。一方で、ここに聞かれるような調和系というのか、お互いが相手を上回ろうとがんばりすぎず、むしろ互いに引き立てあうように演奏を高めていく音楽観は、ビバップを飛び越えてマイルスに直結する姿勢であり、晩年のマイルスの映像を目にするにつけ、この姿勢は彼が生涯保ち続けたものだという確信を深くします。
7曲目の"My Last Affair"は'37年2月18日のセッションで、メンバーはがらりと変わるものの上のセッションのムードを引き継いだ感じがして面白い。とくにヘンリー・レッドアレンのソロがよく、彼女の歌も、歌詞をちょっとクールに眺めて面白いフレージングを見せています。
8-9曲目はエリントンのところからクーティー・ウィリアムス(tp)、ホッジス(as)、カーネイ(bs)の3人がやってきた'37年3月31日のセッション。8曲目の "Carelessly"ではホッジスが、9曲目の"Moanin' Low"ではクーティーがそれぞれビリーのバックでオブリガートをつけますが、ちょっとつけすぎでやかましい感じがします。
レコード1枚目はここまで。2枚目のA面は彼女のキャリアにおいてのみならず、ジャズ史上最も重要なセッション群が続くので、稿を改めたいと思います。
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