1956 Series (3)
マイルスの「マラソン・セッション」という言葉があります。これはマイルス・デイビスがプレスティッジ・レーベルに1956年5月11日と10月26日にそれぞれ14曲と12曲吹き込んだレコーディング・セッションを指します。一日で10数曲の録音など考えられませんでしたから「マラソン」と冠されたわけですね。プレスティッジではこの時吹き込んだ録音を4枚のLPに分割し、5年かけて小出しに発売しました。この売り方のほうがよっぽど「マラソン」ぽいですが、どうしてこんなことが起きたのでしょう?ご存じの人も多いと思いますが、この陰には実に面白いエピソードが隠されていますので、少し長くなりますが油井先生の説明を引用しましょう。
1955年7月ニューポート・フェスティバルにおけるマイルス・デヴィスは、一夜にして名声を確立した。
この演奏をきいたCBSコロムビアの首脳部は、マイルスが同年秋レギュラーコンボを作ったのを機会に専属契約の話を進めていた。マイルスも乗り気だったが、プレスティッジにはあと一年間、アルバムにして4枚分の契約が残っていた。CBS側は、マイルスがコンボを作ると同時に2曲、プレスティッジへの録音の合間を縫って一枚分の録音をとり「プレスティッジの契約が消滅するまでは絶対に発売しない」という堅い約束を交わしたのである。俗な言葉でいえば、ツバをつけておいたのだ。
マイルスは56年5月11日と10月26日、たった二日間で、曲数にして25曲、LP4枚分をワン・テイクでとってしまった(筆者注、Tune Up---When Lights Are Lowを一曲として数えると25曲)。情報の流れるのは早い。それと察したプレスティッジは再契約を迫ったが、マイルスは条件を出した。「20人の一流プレイアーを集めて、ギル・エヴァンスに編曲指揮をしてもらうLPをつくりたい。やってくれるなら再契約に応じよう」
プレスティッジに、そんな金のかかるLPが出来るわけはなく、マイルスはまんまとCBSに移籍した。移籍すると言葉通りギル・エヴァンスと組んで「マイルス・アヘッド」という傑作をつくったのである。プレスティッジも負けてはいない。CBSの宣伝力で、マイルス株が上昇する気運に乗じて、二日間で録音したLPを一年に一枚の割で小出しに発売し、4枚目が出たのはなんと5年後の1961年のことであった。だがCBS側も負けてはいなかった。「プレスティッジのはオクラ・テープで、当社のは新吹き込みである」ことを強調するために、二度とプレスティッジ時代のメンバーをそのままは使わず、キャノンボールを加えたり、ピアニストを変えたりした。
まあ、これぐらい図太い神経がなければマイナー・レコード(プレスティッジのこと)はたちゆかぬのかもしれない。(油井正一著 『ジャズの歴史物語』)
全く狐と狸の化かし合いのような話ですが、その4枚とは、今回紹介するCookin'の他、Relaxin', Workin'そしてSteamin'です。すべて語尾が"in'"となっていますがこれは"ing"の省略形で、そのためこれら4枚を「ing4部作」と呼ぶことがあります。以前、「これはイング4部作と呼ぶべきか、それともアイ・エヌ・ジー四部作と呼ぶべきでしょうか?」と質問されたことがありましたが、分かりません(笑)。好きな呼び方でいいのじゃないでしょうか?メンバーは第一次黄金クインテット、つまり、マイルス、コルトレーン、レッド・ガーランド、ポール・チェンバース、フィリー・ジョー・ジョーンズです。
これら4部作には冒頭にキャッチーで印象に残るスタンダードが配されています。『クッキン』の場合は"My Funny Valentine"、『リラクシン』の場合は"If I Were a Bell"です。これは結構便利な特徴で「『クッキン』てどれだっけ?」と迷った場合は「ヴァレンタインのやつ」と覚えておけば済むようになっているわけです(笑)。
さて、その「ヴァレンタイン」ですが、ここでの演奏は実に詩的で歌心に溢れています。マイルスのアレンジでしょうがレッド・ガーランドのイントロからマイルスが歌心豊かにテーマを吹きます。しかし、このテーマを徐々に解体していきアドリブになだれ込んだあと、イン・テンポでガーランドのソロ、これが結構いい。その後半でリタルダンドをかけて、Bメロから再びマイルスのソロに入ります。コルトレーンの『バラッド』ファンには申し訳ないですが、ここはコルトレーンが入らなかったのが正解、端正に仕上がっています。
二曲目は "Blues by Five"、ブルースです。マイルス、コルトレーンとも申し分のないソロをとりますが、特にここでも張り切っているのがレッド・ガーランドです。自分の曲だからでしょう、フィリーとの4バースも全部引き受けています。つづくロリンズのリフ曲、"Airegin"(「エアジン」と呼びます、意味はNigeria=ナイジェリアのアナグラム)ではフィリーが爆発します。フィリーの特徴に「フィリーショット」と呼ばれるリムショットがありますが、ここではまさに満点のショットをきかせてくれます。アドリブに入る瞬間のマイルスもすごい気迫。この数小節はハードバップの聖典でしょう(いや、むしろこの4部作すべてが聖典でしょうね)。"Tune Up"はマイルスの作曲。ハードにがんがん攻めていくマイルスの姿がくっきりと浮かび上がります。その後半から"When Lights Are Low"に代わります。マイルスはこの曲とか、"Bye Bye Blackbird"のようなテンポになると実に歌うソロをとりますね。ここでのコルトレーンはまだいまいちフレーズが構成されず荒削りです。これが58年になると目を見張るほどになるのですから、彼の努力がよく分かります。
ライナー・ノーツ(ジャケット裏の解説)に書いてあったのですが、この「クッキン」というタイトルはマイルスが付けたようです。「結局俺たちがやったことは、スタジオに入って(曲をうまく)料理しただけだからな」。
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