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Fletcher Henderson: A Study in Frustration (Columbia)

September 13th, 2007 · No Comments

Fletcher Henderson

お上が辞めるそうなので、私も書こうと思っていた記事を引っこめて、今回はフレッチャー・ヘンダーソンの『挫折の研究』について書くことにしましょう

フレッチャー・ヘンダーソン。80年以上も昔にジャズ・オーケストラを組織したジャズ史上の巨人です。そのスタイルは後にベニー・グッドマンが編曲を譲り受け空前のスイングブームを巻き起こしたことからも分かるように、ブラス・セクションと木管セクションによるコール・アンド・レスポンスと、その合間を縫って名人がホットなソロを取るという普遍的なものでした。エリントンが「ワン・アンド・オンリー」で各メンバーの出す音色すら考慮して取替えが利かないまでに練り上げたものであるのに対し、ヘンダーソン(そして編曲者ドン・レッドマン)のスタイルはジャズ・バンドの標準的スタイルとなったわけです。そして人材もルイ・アームストロング、ロイ・エルドリッジ、コールマン・ホーキンス、チュー・ベリー、ベン・ウェブスター、ベニー・カーター、ジミー・ハリソン(ジャズ・トロンボーンの父)、ジョン・カービー、ウォルター・ジョンソン、カイザー・マーシャル、そしてアートブレイキーに至ります。油井先生はこれを「『フレッチャー・ヘンダーソンに雇われたことがある』という経歴は、お役人の『東大卒』の肩書きと同様、ジャズのエリートを象徴した時代があったのだ」と上手く説明しています。

このフレッチャー・ヘンダーソン楽団の歩みを、1923年から1938年までコロムビアに吹き込んだ録音を集大成した4枚組みボックス・セットがこの『挫折の研究(A Study in Frustration)』です。しかしアルバムのタイトルとして『挫折の研究』とはずいぶん縁起が悪い。タイトルをつけたのはジャズ史上最大のプロデューサー、ジョン・ハモンド。タイトルの理由はフレッチャー・ヘンダーソンが最高のメンバーと音楽を擁しながら、挫折を続けてきたことにあります。

全米娯楽の中心地でありながら、純ジャズ的には不毛の地にひとしかったニューヨークで、エセル・ウォーターズの伴奏コンボを率いていたヘンダーソンが、みようみまねでダンス・バンドらしき演奏をおぼえ、名編曲者ドン・レッドマンを得て1923年夏クラブ・アラバムにデビューし、翌24年秋シカゴから招いた天才青年ルイ・アームストロングを通じて、はじめてジャズ・イディオムの真髄にふれ、以後10年間他の追随を許さぬオーケストラに成長し、不況のため挫折。数年間売り食いの生活ののち、ベニー・グッドマンに譲り渡した過去のアレンジが空前の「スイング・ブーム」を巻き起こしたため再起。最高の演奏を続けながらも他のバンドほどに人気を獲得できず再び挫折。ついにフンドシを貸し与えたベニー・グッドマンに拾われるが、眼の手術を受けるために退団。50歳にして振り出しに戻り、今は老女となったエセル・ウォーターズの伴奏者として巡業の旅にのぼった末、中風のためにたおれ、クリスマスの鐘の音をききながら54歳の生涯を閉じる(油井正一『ジャズの歴史物語』)

なぜこれほどの不運と挫折に見舞われたのか。アフリカ系アメリカ人でありながらも、名家の生まれでお坊ちゃん育ちであった彼には次のようなネガティブな面があったと油井先生はまとめています。

1) 数字に弱かった。マネージメントも悪かったが、しばしばタダ働きをした。

2)統率力に欠けていた。メンバーは個性の強い連中が揃っていたから、掌握力のなさが目立った。メンバーの遅刻や無断欠勤が多くなり、これがよく契約キャンセルにつながった。

3)のち「ローズランド」をはじめホール経営者は、ヘンダーソンのリーダーシップに疑念を抱き、契約をしなくなった。

また、1928年の交通事故で鎖骨がポキッと折れて、これが精神力までポキッと折ってしまい、「やる気」がなくなったことも指摘されています。レスター・ヤングとの契約までこぎつけ、入団させたのにも関わらず、メンバーがレスターの進歩性に気づかずにギャーギャー騒ぎ、押し切られる形でレスターを退団させてベン・ウェブスターを後釜に入団させたところなども、リーダーシップ不足の面目躍如です。

ここまで書けば分かると思いますが、お上にそっくりです。ただ一点違うのは、フレッチャー・ヘンダーソンの音楽はど真ん中だった。一流だった。今聴いてもすごいと思えるところです。4枚組み全64曲なので全部は取り扱えないですが何曲かポイントとなる曲をピックアップしましょう。(面倒なので何枚目の何面何曲は書きません)

"Everybody Loves My Baby" はサッチモがはじめて声を吹き込んだ録音だといわれています。 "Sugarfoot Stomp" はビッグ・バンド・スタイルの標準ともなる名アレンジ+名演で、サッチモのソロも際立っています。"The Stampede" はサッチモ退団後の演奏ですが、この時期としては最高の演奏です。"Henderson Stomp" には面白いエピソードがあって、ある日ハンバーガーショップでしょんぼりしているファッツ・ウォーラーを見かけたので、どうしたのかとヘンダーソンが尋ねると「食欲に任せて12皿のハンバーガーを食べてしまったけれど、お金がない。ここの支払いをしてくれたら曲を進呈するよ」。ということで進呈されファッツ自身も客演した2曲のうちの1曲です。"Rocky Mountain Blues" はこのバンドの最高傑作のひとつ。素晴らしい躍動感と整然としたアンサンブルに驚かされます。 "I'm Coming to Virginia" は白人コルネットのビックス・バイダーベックにあこがれて吹き込んだ曲。ペットの担当はジョー・スミスという、これまたビックスに通じるクールなトーンを持ったトランペッター。ちなみに、ジョン・ハモンドはサッチモよりもジョー・スミスが上といっています。 "Singin' the Blues" も同様にビックスの演奏を模範として吹き込まれた演奏。トランペットはボビー・スターク。"King Porter Stomp" は計3回吹き込まれているこのバンドの代名詞的演奏。のちにベニー・グッドマンがバニー・ベリガンをフィーチャーした名演を吹き込んでいます。"Christopher Columbus" は有名なベニー・グッドマンの「シング・シング・シング」中間部に挿入されたことでも知られた曲。ロイ・エルドリッジが、チュー・ベリーが、バスター・ベイリーが不朽のソロを取ります。そして"Stealin' Apple"。チュー・ベリーの代表的ソロが聴ける演奏で、パーカーも好んで聴いていたそうです。

現在CDは廃盤。でも丹念にレコード屋を回れば置いてあるはずです。私も10年ほど前にLPで手に入れました。それまでは油井先生が1曲ずつ解説したラジオ番組のエアチェックテープを聴いていたのですが、ちょっとした手違いで家族に捨てられてしまったことは前に書いたかもしれません。それでこの辺の曲をしっかり記憶しているんです。

Tags: Armstrong, Louis · Berry, Leon Chu · big band · Hawkins, Coleman · Henderson, Fletcher

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