ジャズを聴いていると、否応なしにジャズ・ジャーナリズムにも巻き込まれて行くことになり、読みたくもない論争を読まされて、ない頭で考える羽目になることがあります。古いところでは「キース・ジャレットはジャズか否か」をめぐって油井先生と岩浪洋三氏が衝突して『スイング・ジャーナル』誌を賑わせ、そこへオスカー・ピーターソンまで参戦してキースをこき下ろすや、読者欄から反オスピーの狼煙が上がりそれがまた本文記事へと波及していくなんてことがありました。この時は新進気鋭の若きキースを老人が叩き、若い読者が反論するという形でしたが、後には若いウィントン・マルサリスがキースを酷評し、キースがそれを諭しながら反論するという事件も起きました。一見かつての若手が老齢になり、新しい若手から叩かれているように見えますが、若手とはいえウィントンはとんでもない保守反動路線なので、ひょっとしたら構造は同じなのかもしれませんね。
どちらの論争でも主人公であるキースの音楽には,どこかコントロヴァーシャルな部分があるのかもしれません。確かに『ケルン』全体や「マイ・バック・ページ」を聴くと、叙情性べったりというか、没入しすぎて対象と距離が取れていないようなところがあって時に鼻につきます。ハービーはいくらファンク路線をひた走っても、どこかでそれを冷静に眺めている目がありますし、チックはスパニッシュな曲をやっていても、どこかでそれをメソダイズしようという意図が見えます。ところが若き日のキースは曲に没入するというか、完全インプロの場合は手癖と「甘ったるい」メロディーに淫して対象化しえていない時があります。しかし80年代に入って「スタンダーズ」シリーズを吹き込むようになると、この辺の距離というか対象化が上手くなってきて、ジャズ的興味が増してきました。
「スタンダーズ・シリーズ」はかなり多くて、そのどれも甲乙つけ難く、逆に言えばどれを聴いてもいいのですが、私が一番好きなのが今日紹介する『アット・ザ・ディア・ヘッド・イン』です。「ディア・ヘッド・イン」とはライブハウスの名前で、キースは高校を卒業して電気メーカーに勤めていた頃、このクラブのハウストリオとして雇われたのが世に出るきっかけだったと彼自身ライナーで書いています。それから30年、1992年の9月16日に思い出のライブハウスで行われた演奏を録音したのがこのアルバムです。こういう思い出の小屋でやるときというのは格別で名演が生まれないわけがない。
またこのCDは音がよい。キースのタッチにしろ、ベースやドラムの動きにしろ、かなり詳細に捕らえている録音技法です。ジャズでは普通すっ飛ばされてしまうような最弱音のタッチなどもばっちり捉えられていて、最初聴いた時には魂消ました。さらに選曲がいい。得意曲を並べているのではなく、多岐にわたる曲を網羅しながら、一つとしてやっつけ仕事がないのが凄い。特に4曲目 "You Don't Know What Love Is" では、元曲と全く離れたインプロヴィゼーションの塊がでてきます。また6曲目 "Bye Bye Blackbird" はマイルスに匹敵する演奏に仕上がり、アンコールのようにして始まる "It's Easy to Remember" では念入りなタッチが見事に捉えられています。そう、念が入っているわけです。入念です。入念の選曲、演奏、そして録音があいまって、このアルバムは傑作中の傑作に仕上がっているわけです。隠れた名盤、あるいは隠れなき名盤というのは、こうしたものを指すのです。
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